下鴨神社の南北に長い敷地の、南半分を占める糺の森。パワスポとして素晴らしい森ですが、その糺の森の出口付近に、摂社の河合神社があります。
正式名称「鴨川合坐小社宅神社」(かものかあいにますおこそやけのかみのやしろ)という長~い名前で、河合神社は通称ですが、京都では「かわいじんじゃ」と読むのではなく「タダスノヤシロ」と読むのが慣例だったそうです。
糺の森(ただずのもり)にあるから、タダスノヤシロ
高野川と鴨川の合流地点にあるから、「河合神社」
でも、それなら下鴨神社の本殿で用が足りそうなのに、何故、わざわざ境内に河合神社があるの?
河合神社は”美の神様”として美しさを願う女性に人気があるんですが、私はそれより、そもそも上賀茂神社の「結局、主祭神の別雷大神って、誰やねん?」から始まっての、賀茂氏のナゾに地味~に、興味あります・・・
今回はその、地味~な話。
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賀茂社、そして賀茂氏について、考える
上賀茂神社と下鴨神社は、両方合わせて「賀茂社」という呼ばれ方をされます。
この賀茂社と、下鴨神社の主祭神・賀茂建角身命を始祖とする賀茂氏について、私なりに考察してみたいと思います。
少なくても”居抜き物件”ではない、河合神社
下鴨神社第一摂社、河合神社は、下鴨神社境内の南側2/3を占める糺の森の出口付近にあります。
入口の立派な御門。
御神氣マンマン・・・とは感じないものの、こじんまりした神社としては相応の、”いい感じ”の所です。
少なくても下鴨神社の本殿のような「え?この規模で、このお世話のされ方で、このスカスカさ?」って感じは、まったくない。
なので・・・ネット上で読んだ「ここが本当の賀茂神社」っていうウワサは、さもありなん・・・って、気がしたんです。
玉依姫って?
この河合神社の御祭神は、玉依姫。下鴨神社本体の玉依姫と違い、”神武天皇の御母神”と公式に明記されています。
ここで下鴨神社本体の玉依姫についても、話を整理しておきます。
- 下鴨神社の公式サイトでは、賀茂建角身命と共に主祭神となっている「玉依姫」について、初代天皇・神武天皇の母とも、そうでないとも明記されていません。
- ですが上賀茂神社の方では、「賀茂一族の姫であった、賀茂玉依比売(ひめ)」と、明記されています。
このことから、下鴨の玉依姫は神武天皇の母の玉依姫ではなく、”玉(魂)が依る(憑く)姫=巫女”という、「一般名詞としての玉依姫」であって、賀茂一族の娘であり巫女であった女性だろうと、思います。
賀茂氏って、何者なのか?
そして下鴨神社に賀茂玉依姫と共にお祭りされているのが、これまた”賀茂一族の始祖”とされる、玉依姫のお父さん、賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)。
神武天皇が熊野から吉野に入る際に、八咫烏(ヤタガラス)に身を代えて導いた功績が伝えられる人物です。
この伝承から、ヤタガラスは賀茂建角身命の御化身とされ、河合神社内の末社、任部社にお祭りされています。
※ヤタガラスは日本サッカー協会のシンボルマークでもあるため、境内には京都サンガの寄せ書きも。
私の感覚的なことを言えば、実際に訪れてみると「賀茂家の先祖を祭る神社としては、下鴨神社より河合神社の方が、境内の規模も、御神氣の大きさも、ピッタリ」って感じではあったので、何らかの理由で下鴨神社本体は「公的な神社」として京の人々に解放し・・・
祖先を祭るプライベートな神社として、元々、下鴨神社の本殿に祭られていた賀茂玉依姫さまと賀茂建角身命も分霊して、そして建てられたのが、河合神社・・・って言われれば、「そうだよな~」と、スンナリ納得できる気はします。
だから河合神社の本殿にお祭りされているのが八咫烏だったら、ピッタリ!なんですが、なぜかそれは末社で、本殿にお祭りされているのは恐れ多くも神武天皇のお母様の方の玉依姫さま・・・
どうしてそんなに、賀茂氏と皇室は縁があるのか?
河合神社の玉依姫さまだけじゃなく、上賀茂の賀茂別雷大神の父を「天津神」(つまり、現皇室系)とするのは、ただならぬご縁です。
私自身は、賀茂氏は天神系ではないだろうと考えます。
wikiによると、賀茂氏は
- 「天神系(天津系)」である、賀茂建角身命を始祖とする、賀茂社の祠官の賀茂氏
- 「地祇系(国津系)」である大和国葛上郡鴨を本拠地とする賀茂氏
- 備前(岡山県)の加茂氏
と3系統あって、それぞれ別個とする説もあるそうですが、備前の加茂氏はともかく、京都の賀茂氏と大和の賀茂氏は「元は同じ説」を、私は支持です。だって、熊野から吉野という大和の地で神武天皇を導いたのが、賀茂建角身命なんですから。
ここで基本的な事ですが、「天神系(天津系)」はアマテラスを始祖とする大和朝廷であり、”後から来た支配者”
「地祇系(国津系)」は、大国主命の国譲り神話に象徴される、”元々のその土地の支配者”
大和国の賀茂氏は、国津系。おそらく、wikiで天津系とされる京都の賀茂氏も、元々はそこからの流れ。
つまり、大和朝廷が支配する前に、もともと、大和であり京都でありを支配していた強力な豪族が、賀茂氏。
そこにどういう経緯で、(征服者である)大和朝廷=天津神が入り込んできたのか?なぜ、河合神社の主祭神が神武天皇の母の玉依姫だったするのか?賀茂氏と大和朝廷は、非常に協調体制があるように見えるけど、本当は何があったのか?
こちらは河合神社の禰宜、鴨長継の次男として生まれた、鴨長明が暮らした方丈庵のレプリカ。河合神社の境内にあります。
下鴨神社の雅な本殿とは好対照の、侘(わび)の美しさ。
ちなみに・・・
地祇系とされる大和国葛上郡鴨を本拠地とする賀茂氏も、後の平安の世には京都で陰陽師となっています。
そう言えば、賀茂建角身命が八咫烏に姿を変えた伝承は、陰陽師が使う式神を思い起こしますね。
また、賀茂氏と、渡来系の代表格、秦氏とはこれまた深い関わりがあるとか・・・
このへんはちょっとゾクッとするんですよ。古代史って、大和朝廷が都合いいように歴史を編纂したために伏せられている事が多くて、興味をそそられます!
神社って、その日本古代史を紐解く鍵にもなりますよね。
美麗神社としての河合神社
さて、私のマニアックな賀茂氏の謎への興味より、女性の美しさを叶えるご利益の方に興味をお持ちの方が多いでしょう(笑)
こういう手鏡型の絵馬があって、自分でメイク道具や、備え付けの色エンピツなどでお化粧して奉納すると、美しくなれるという河合神社。
しかし、木地に塗り絵するのは、結構、難しくて、自分のセンスのなさに撃沈・・・orz
それに比べたら、奉納されている他の方の絵馬を見て、皆さんの独創性に感心しました。
御朱印
河合神社の境内には、貴布禰(きふね)神社も。
上賀茂神社にも、貴船神社の主祭神、高龗神を祭る新宮神社がありました。
貴船神社と賀茂社の繋がりも謎ですね~。(貴船と下鴨だけなら、「水つながり」だろうと、容易に想像つくんですが)
今回巡った、貴船神社、上賀茂神社、下鴨神社と、その摂社、河合神社は、どれも創建年代が分からないくらいの古社です。
これら神社の繋がりや謎には、御神氣や場のよさがどうか?とは別の、古代日本史の謎という部分での興味は、すごく湧きました。
上賀茂神社についてはこちら
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